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ツアー4日目はアリカンテを発って、一路内陸のグラナダに向かう。ヨーロッパ道(E15号線)はスペイン南部のアンダルシアに入り350kmを直走る。途中2回の休憩を取るが有料道路以外はパーキングエリアがなく、町のBarを利用する。最初のBarではグラナダを感じる幾何学模様のタイルと地ビール「Cruzcampo」の看板が目を引く。 |
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更に内陸の高地に入ると作物が一転し、アーモンド畑が車窓に広がる。今年は開花が遅れ満開の季節になった。はじめて見る花びらは桜のような薄ピンク色をしている。 |

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休憩を取ったBarはアーモンド畑のど真ん中にあった。カウンタは客でにぎわっていたが、隙間からカフェ・ソロを注文する。空気が乾燥しているので、どこのBarでも豚の腿肉を生ハムにして吊り下げている。 |
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車窓に雪を頂くシエラネバダが迫ってきた。シエラネバダとはスペイン語で「雪のかかった山脈」の意味、アメリカやメキシコなど世界各国にネバダ山脈があるが、スペインが発祥の地。最高峰は3,479mでヨーロッパで最も南に位置するスキーリゾート地になっている。 |

アリカンテから5時間でグラナダに到着。郊外のレストラン「CAMAURA」で昼食をとる。ランチメニューのイカの墨煮は、さっぱりとした味付けに炒めたライスの盛り合わせが付く。日本人には適量で美味しい。前菜のサラダと良く合い食欲が進む。裏庭には農作業を終えたロバが休息し、黄色い月桂樹の花が咲いている。 |
 
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グラナダのシンボル「ザクロ」は幸運の果物を意味する。町を見下ろす丘の上に立つアルハンブラ宮殿のチケット売り場。入場は予約時間が指定されていて、広大な敷地を全長約4km、2時間半で歩く。13世紀前半、イスラム教徒支配がグラナダ王国のみとなったころ、ナスル朝ムハンマド1世によって着工され、170年に渡って建設された宮殿はイスラム建築の最高傑作といわれている。最初にヘネラリフェ(Generalife)の庭園を散策しながら離宮を見学し、王宮へと向かう。 |
 
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谷を隔てたヘネラリフェの庭園からアルハンブラ宮殿が一望できる。遠く眼下にはグラナダ市街が見渡せる。 |
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ヘネラリフェ離宮の入り口。離宮は王族の夏の別荘として使われていた。 |

ヘネラリフェにある「アセキアの中庭」。緑に包まれた安らぎの空間は中央に約50mのアセキュア(掘割)があり、その両脇から水が噴出しアーチを描く。園内の水路や噴水にはシエラネバダの豊富な雪解け水が使われている。 |
 
 
漆喰の装飾を散りばめた壁面と精密な透かし彫り。偶像崇拝が禁止されているイスラム教では、幾何学模様やアラビア文字を使った文字装飾(アラベスク)が使われている。 |

離宮からはアルハンブラ宮殿のコマレスの塔と赤い城壁を望むことができる。 |
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ヘネラリフェから宮殿に向かう途中にあるパラドール・デ・グラナダ(Parador de Granada)。宮殿の敷地内にある国営ホテル。パラドールは数ある歴史的建造物を利用したホテルチェーンでスペイン各地にある。その中でもグラナダは非常に人気が高く、予約が取れないことでも有名。 |

連絡路にある手入れされた樹木

サンタ・マリア教会
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王宮の隣に立つルネッサンス様式のカルロス5世宮殿。キリスト教支配に戻ったレコンキスタ(国土回復運動)完了後に建設された。正方形の建物の内部は円形の中庭になっている。1階はドーリス式、2階がイオニア式の構造になっている異色の建物。 |

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城砦アルカサバ(Alcazoba)。丘の西側に立ち勢力が増してきたレコンキスタに備えて、13世紀中ごろに建てられた城砦で「赤い城」といわれる所以となった。 |

アルハンブラ宮殿の中核をなす王宮入口。王宮はそれぞれ意匠を凝らした複数の宮殿から構成されている。イスラムの建築は外観はシンプルでも、中は超豪華にできている。 |
 
政庁を意味するメスアール(Mexuar)の間。イスラム様式の精密な装飾が美しい。天井は寄木を使った細工が興味深い。 |

メスアールの中庭にある大理石の噴水。 |
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メスアールの中庭を抜けるとコマレス宮へと続く。柱廊で囲まれた広い中庭には池があり、両脇の生垣に薄紅色の天人花(アラヤネス)が植えられている。 |

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中庭の池が、コマレスの塔を鏡のように水面に映し出し、宮殿が水に浮かんでるように見える。 |
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宮殿最大の「大使の間」、諸外国の大使と王が謁見した部屋。高い天井から差し込む光が幻想的な雰囲気を醸しでしている。壁面いっぱいに刻まれた装飾が圧巻。

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王の住居「ライオン宮」と楽園を再現した中庭には水路が配されて、124本の白大理石の柱が取り囲む。(ライオン像の噴水は修復中で見学不可) |

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アベンセラヘス(Abencerrajes)の間、当時力のあった貴族アベンセラヘス家の陰謀に怒った王がこの部屋で一族の男たちを皆殺しにしたという。 |
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ニ姉妹の間、部屋の名前は床の中央に敷かれた大きな2枚の大理石に由来する。天井は今にも垂れてきそうな立体的な鍾乳石装飾が施されている。
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王宮の北側の丘にあるアルバイシン地区の眺め。15世紀末のグラナダ陥落までイスラム教徒の居住区だった。 |
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アルハンブラ宮殿入り口の手前にある駐車場から迎えのツアーバスが下りて来た。白く輝くシエラネバを後に、太陽の海岸(Costa de Sol)に向け再び南下する。途中ピカソが生まれた町マラガ(Malaga)を経由し、宿泊地の白い村ミハス(Mijas)まで160kmを2時間で到着する。
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