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3月13日(日)
震災から11年、全線開通した三陸道を走行して南三陸町の「さんさん商店街」にやってきた。
朝7時前に常磐道を出発してから約5時間、ちょうど昼食時間となった。津波で破滅的な被害にあった地元商店街を、復興事業として復活させた新しい建物が軒を並べる。 |
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特に目を引くのは、三陸の豊かな海産物を食材にした食事処だ。いろいろ迷いながらも「かいせんどころ梁」に決めた。注文したのは漁師の丼1800円、9種類の具材が入った海鮮丼はシニアにはちょうどよいボリューム感で三陸の味を満喫する。 |
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昼食後、商店街の広場に立つモアイ像を見に行く。かつて日本がイースター島のモアイ復興に協力した友好の証として、震災後に本場で制作されたモアイが贈られてきた。以前にあったモアイは津波で破壊されたという。 |
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防波堤を乗り越えた津波が押し寄せた志津川の護岸工事が完成している。一面かさ上げ工事が終わり、周囲の地形が高くなっているが、当時のまま保存された防災対策庁舎は、震災遺構として悲劇を象徴するかのように、寂しくたたずんでいる。 |
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湾内は完成した防潮堤を望み、整備された国道45号が通る。しかし、かつての住宅地は更地のまま残され、人家は見当たらない。復興とはほど遠い姿を目にする。 |
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次の訪問先は気仙沼市にある震災遺構となった海洋高校。三陸道の大谷海岸ICを降りて、国道45号の案内板を頼りに、震災遺構伝承館となった向洋高校跡に到着する。4F建ての鉄筋校舎が津波で被災したそのままの状態で生々しく保存されてる。日曜日とあって地元の女子中学生がボランティアで語り部となり案内に立ってくれた。生まれた時の被災記憶が残らない年齢なのに、一生懸命の説明に胸を打たれる。 |
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破壊つくされた1Fの教室とその天井を見ると、津波の圧倒的なパワーに愕然とする。3Fに上がると津波で運ばれてきた車が壁に激突した状態のまま残されている。震災の爪痕が消えていくなか、今もなお、津波の威力とその恐ろしさを伝えている。 |
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4Fの床から25センチのところに津波が到達した証が残る。地上からの高さは12メートルにも達している。 |
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津波で流されてきた冷凍工場が4Fベランダに激突し破壊された跡がそのまま残る。屋上に上がり校庭を見下ろすと、津波で屋根が流失した屋内運動場の無残な姿が痛々しい。 |
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次々に1Fに降りて校庭に出ると壮絶な光景を目にする。襲う津波の強力な引き波によって、流されてきた家屋が校舎の間に挟まり、ガレキの中には車5台が今も折り重なって埋もれている。 |
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映像では何度も見たつもりの津波であるが、現場に来て体感する津波の脅威は想像以上に衝撃的であった。被災者以外の人も一度は訪れるべきスポットだと思う。 |
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車を移動して気仙沼の市内に入る。津波で流出し、その後再建されたという港の酒屋「男山本店(創業大正元年)」を見てみたい。2006年に訪れたときに記憶に残る木造3階建の建物は重要文化財に指定されている。

早速、銘酒「蒼天伝」を購入する。目当ての純米酒は、空と海の蒼さを彷彿する美しく爽やかな味わいだった。
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宿泊は港の高台にあり、奇跡的に津波被害をま逃れた、サンマリン気仙沼ホテル観洋を予約してある。新鮮な魚介類のなかでも、ここに来たらフカヒレ料理を必ず味わうべし。 |
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3月14日(月)
前日と同じようなスッキリしない空模様となる。ホテルからは気仙沼湾内を一望できる。復興した漁港には操業船が停泊し、水揚げ市場や商業施設が見えるが、一般住宅地は更地が多い。湾内に架かる三陸道の大橋と更にその奥に架かる大島大橋が見える。いずれも震災復興事業として完成している。 |
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朝食後、最初の訪問地を唐桑半島の巨釜(おがま)に決める。かつて震災前に遊覧船で気仙沼から向かった海上にそそり立つ、折石(おれいし)が気にかかる。 |
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今回の大震災では無事だった。明治29年(1896年)の三陸大津波のとき、先端から2mほどが折れたことから、折石と呼ばれている。高さ16mの大理石の石柱は、駐車場からしばらく遊歩道を下った先に見ることができる。太平洋の荒波を受けるこの辺りは大理石の海岸で形成されているようだ。 |
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唐桑半島を後に、三陸道に入り県境を越え、岩手の陸前高田までやってきた。目指したのは国営追悼施設となっている、東日本大震災津波伝承館(入館無料)。広大な防潮堤の周囲は復興祈念公園として整備され、館内は道の駅高田松原が併設されている。 |
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伝承館のゲートをくぐり、防潮堤まで真直ぐに延びたロードを進み、防潮堤の上に置かれた献花台の前に立つ。この場所から津波が押し寄せた広田湾を望むと、新たに植樹された約4万本の松が見える。震災前に拾われた松ぼっくりの種から育てられた若松は、将来の高田松原として復活を始めている。 |
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防潮堤を気仙川方向に歩くと、奇跡の一本松が見えてくる。約7万本の松のなかで唯一残り、復興のシンボルになったが、翌年に枯れ死した後、保存処理が施されて復興のモニュメントとなった。 |
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かつては高田松原の中に建っていたユースホステルは津波の直撃で破壊され、今は震災伝承遺構としてそのままの姿で残されている。奇跡の一本松はこの建物のおかげで残ったともいわれている。防潮堤の内側を流れる河川には、今なお被災松の根株が残る。 |
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伝承館に戻り、館内を見学する。展示物の中で真っ先に飛び込む光景は、被災した消防自動車の衝撃的な姿だ。津波で山際まで押し流された状態で見つかっている。底知れぬ津波の破壊力を警鐘している。 |
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国道45号の気仙川に架かる気仙大橋は、河口から500mほどのところにあって津波の直撃で破壊され、激しく折れ曲がっている。さらに津波は上流へ8kmも遡ったと記されている。 |
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伝承館の見学を終え、隣の道の駅で昼食にする。広田湾漁協直営のまつばら食堂は海鮮メニューが豊富。注文したのは磯ラーメン880円。ホタテ、ムール貝、イカ、エビなどに海藻類をトッピングし、塩味がきいた旨味凝縮のラーメンでした。土産に少しでも復興支援となるように地酒(酔仙)、銘菓かもめの卵、海産物など多数購入する。

陸前高田を後に、国道340号から170号を経由し、釜石自動車道に入る。花巻JCTから東北道を北上して盛岡ICを降りる。次の宿泊地、雫石スキー場のプリンスホテルまで、ナビ頼りで山間の複雑な道をひたすら走りきる。
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