信州城址さくらの旅
4月11日(月)午前3時前に自宅を出発し、常磐道から外環を経由して、鶴ヶ島JCTから圏央道に入る。八王子JCTからは中央道を走り、諏訪ICを降りる。諏訪から国道152で杖突峠を越え、高遠城址公園を目指す。杖突峠では気温0℃、小雪が舞う山道は真冬の季節に逆戻りしていた。峠を下るにつれて人里が現れ、街道沿いのあちらこちらから桜色に染まりだす。曇り空の合間からは少しずつ青空が見えだしてきた。

7時過ぎに高遠城址公園に到着する。まだ、この時間では渋滞もなく公園近くの駐車場に入れることができたが、前日満開となった日曜日では早朝から大渋滞となったようだ。桜の開花時期は公園を周回する道路は一方通行となり、駐車場が満車になると通行が規制されてしまう。その場合は公園からかなり離れたところの臨時駐車場を利用するが、シャトル便の移動になる。
7時30分 支度を整え徒歩で数分の高遠城址公園入口(北ゲート)に着く。平日の早朝とあって観光客もまだ疎らだ。案内図をよく確かめてから、待望の桜見物を楽しむことにする。

入園観覧券(一人500円)を購入して入口から右手方向に進むと、外堀に架かる桜雲橋(おううんきょう)が見えてくる。
満開の桜に彩られた桜雲橋を渡ると、正面に問屋門がある。それにしても淡い紅色の桜が見事に咲き誇ったものだ。ソメイヨシノとは違った華やかさのある桜に感動する。
ここの桜は県の天然記念物に指定され、タカトウコヒガンザクラと呼ばれている。明治の初期頃から植えはじめ樹齢130年を越える老木を含め、現在では約1500本の樹林となっている。
明治4年、廃藩置県となり翌年に高遠城は取り壊され城址公園となる。今いる本丸の跡地も、当初は荒れ地のままになってしまい、見かねた旧藩士たちが、馬場にあった桜を移植したのが始まりのようだ。花はやや小ぶりで、ソメイヨシノよりも赤みを帯びているのが特徴になっている。
本丸跡地の展望台から中央アルプスを望む。西側斜面にある桜には、まだ朝日が射してこない。
本丸の跡地横に明治時代に建てられた太鼓櫓がある。時を告げる太鼓が置かれていたところ。
中央アルプスの主峰、木曽駒ヶ岳はすそ野までしか見えないが、天気が少しづつ回復し全貌が徐々に見えだして来ている。
青空に映えるタカトウコヒガンザクラ。天下第一の桜と称され「さくらの名所百選」に選ばれている。
高遠城は、三峰川(みぶがわ)と藤沢川に削られた河岸段丘の突端に築城された。段丘上では平城に見えても、三方の川敷から見ると高い丘の上に立つ山城の姿をしているため、平山城と呼ばれてりる。ほかに信州の城は、上田城や小諸城なども同じ自然の地形を生かして築城されている。
城址公園の南ゲートを出て、三峰川に架かる白山橋まで行ってみることにする。階段を下りる途中の斜面も満開の桜が鮮やかだ。
白山橋の上から高遠湖を望む。ここから南アルプスの仙丈ヶ岳が見えるはずだが残念、雲に隠れて見ることができない。
引き返し南ゲートから再入場する。丘の上には信州高遠美術館が見える。
本丸跡地に戻ると、西側斜面の桜にも朝日が射しこんで、中央アルプスの視界もだいぶ開けてきた。もう少しで木曽駒ケ岳が見えてくるところだ。
タカトウコヒガンザクラは専属の桜守(さくらもり)がいる。桜は天然記念物なので植え替えができない。そのため、古株から若木を延ばす(秘伝の技あり)などして、自然な世代交代を図っている。また、できるだけ寿命を延ばすように害虫を駆除したりして、手入れを怠らないようにしているそうだ。弘前城の桜も有名だが、リンゴの剪定技術によって、美しい桜の生育を守っている。
高遠桜を満喫した後は、園内の観光案内所で紹介された、別の桜の名所に向かうことにした。伊那市街近くにある春日公園も地元では桜の名所として知られている。高遠からは車で約30分ぐらいのところだが、高台からは南アルプスを背景に桜を見ることができる人気スポットということだった。

小高い山腹にある公園に到着してみると、そこには南アルプスの大パノラマが待っていた。

南方向には中央アルプスが迫る。

左に甲斐駒ケ岳、右に仙丈ヶ岳が連なり、眼下に伊那市街を望む。
春日城が廃城になり跡地を整備して春日公園となった。園内にはコヒガンザクラやソメイヨシノなど約420本の桜が植えられている。山と桜好きには、この時期是非ともここまで、足を延ばしてもらいたい。
甲斐駒ケ岳2967m 仙丈ヶ岳3033m
本丸、二の丸、三の丸は空堀で仕切られ、それぞれに架けられた橋を渡って散策する。高遠桜とは違って、この公園ではシダレザクラなど様々な種類の桜が楽しめる。
中央アルプスと南アルプスを背景に桜見物を楽しんだ後は、中央道伊那ICから長野道に入り、松本ICを降りて松本市内に向かう。お目当ては国宝松本城だが、桜は散り始めらしく、あまり期待はできない。
松本城近辺の駐車場に車を止めて、近くの信州そば屋で昼食を済ませる。辛味大根のおろし蕎麦を注文したが、さすがそば処の信州では、どこで食べても格別に美味しい。
内堀を周回しながら天守閣に向かう。築城時の天守閣が現存する城は国宝に指定されている。松本城は5城ある国宝の一つだが、ほかに犬山城、彦根城、姫路城、松江城(2015年7月に指定される)がある。
黒門は本丸に入る正門になっている。
黒門を通り、400年の歴史がある日本最古の天守閣に登る。
←途中の階から見た月見櫓と本丸御殿跡の景観。

↑5階の千鳥破風から光が射し込む。
5層6階の最上階天井。井桁梁でがっちり組まれた天井の中央部には城の守護神が祀られている。戦国時代に造られた黒い堅牢な天守と平和な時代に造られた優雅な月見櫓は数々の優れた築城技術を今に伝えている。
松本城の見学を終えた後は、松本市の奥座敷と言われる浅間温泉に立ち寄り、松本駅前にある松本東急REIホテルに宿泊する。
夕食は駅前にある信州酒場「雷電」で郷土料理と地酒で長旅を締めくくる。
乾杯は地ビール「山雅ビール」で、お疲れ様でした。新鮮なサーモンと馬肉の刺身は絶品です。

山賊焼き          

       信州サーモンのサラダ

鹿の串焼き         

        馬肉の刺身
4月12日(火) ホテルで朝食後、国道143号で峠越えをして、真田氏築城の上田城を目指す。国道とはいえ山間部に近づくにつれて道幅が次第に狭まり、きつい急カーブが連続する山岳道路に一変する。

街中を過ぎ、途中の車窓からは雪を抱いた北アルプスが見えてくる。

←中央に雪を被った常念岳
↓北アルプス連峰の大パノラマ
9時30分、過酷な峠越えが終わり、上田市内に入る。城址公園の駐車場に車を止め、城内の散策を開始する。

内堀の水面には散り始めた桜の花びらが漂っている。上田城は河岸段丘の上に建つ堅固な城で、二度の徳川軍の攻撃を退け、落ちない城として、その名が知られている。
本丸東虎口の櫓門が見えてきた。既にシダレザクラは散り終え、ソメイヨシノが散り始めとなっていた。今年は例年より開花が早く、残念だが仕方がないか。
上田城は真田昌幸が1583年に築城した。千曲川の河岸段丘を巧みに利用し、ここを拠点として戦国大名として自立していく。東虎口の櫓門石垣に配された巨大石は真田石と呼ばれている。
櫓門を通り抜けると真田神社が見えてくる。観光用に六文銭を付けた巨大な兜のモニュメントが置かれていた。
真田井戸、城外へ脱出用に掘られた秘密の井戸があったところ。難攻不落の城には必要なかったものの、周到な築城計画があったことがうかがえる。
河岸段丘の上に建つ城壁から、かつて直下を流れていた千曲川(今は運動公園になっている)の河川敷を望む。
天守閣の跡地。今は公園として整備されているが、関ケ原の戦いの後、鉄壁の上田城を恐れた徳川によって、一度徹底的に破壊された。そのため当時の痕跡は石垣と濠(再建時に埋められたものを掘り起こしたらしい)ぐらいしか現存しておらず、天守閣は図面も残っていないため復元ができていない。
内堀の急斜面に造られた遊歩道を下り、外周をひと巡りしてみる。なんとか間に合ったお花見を楽しむ。
お昼は上田城跡公園近くの蕎麦屋を探して入ってみた。千本桜という店だが、そばの伝道師による独自の製法が自慢のようだ。注文した田舎真田そばは、そば殻まで挽き込んだ、独特な食感があり、そばの香りが強く、若干黒めの色合いに仕上がっている。真田丸をイメージした特別メニューの盛り付けででてきた。門外不出の秘伝のそば汁をかけていただく。う~ん、うまい。ほかに言うことなし。
昼食後、帰りがけに欲張って小諸城址「懐古園」まで足を運ぶことにした。上信越道の上田菅平ICから小諸ICまでは2区間の近さだ。小諸ICを降りてからNAVIを頼りに、懐古園に到着した。
駐車場から歩いて最初の入り口「三の門」に着く。1615年創建だが、一度洪水で流され1765年に再建された国重要文化財。小諸城の表玄関は別のところにある大手門となっているが、実質こちらが正門となっている。
三の門料金所で300円の散策券を購入して入城する。右側の石垣が二の丸跡、徳川秀忠が関ケ原に向かう途中の上田城攻略で、陣を張り足止めされたところ。まずは第二次上田合戦の因縁があるスポットに足を進めてみる。
二の丸跡に立つと、花咲くソメイヨシノの遠方に浅間山(右)と外輪山の黒斑山(左)が双耳峰のように見える。すでに雪解けで浅間山独特の山肌文様が消えている。
小諸城址公園の案内板。園内は広く、動物園や藤村記念館などある。ここも千曲川の河岸段丘を巧みに利用して築城されたことがわかる。
黒門跡の前に架かる黒門橋から見る空濠。紅葉谷と呼ばれていて、秋は紅葉の名所になるそうだ。
黒門跡の石垣に根を張る巨木。明治13年廃藩後に荒れ果てた小諸城を整備してできた懐古園だが、その名のとおり古城を懐かしむ思いが込められているようだ。
本丸跡にある懐古神社の裏に天守台に続く城壁が残されている。
城壁に上がり歩いて行くと、最上段に天守台がある。三層の天守閣があったそうだが、落雷で焼失したらしい。天守閣跡の碑と満開の桜が印象に残る。
今回の信州城址の桜めぐり旅は以上で終わるが、信州を2日間にわたって旅してきて、城址の桜だけでなく、移動中の車窓から見る信濃路の桜も印象深いものがあった。これからも、更に新しい自然との出会いを求めて、桜旅を続けて行きたい。

Top